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日本へ…そして再びジャカルタへ

ジャカルタはすっかり雨季に突入。 燃えるような夕焼け空が見られる日もあります。 〜少し振り返りの記録を…〜 退避帰国からジャカルタに戻り、生活が安定してきた6月頃。 その頃からジャカルタのコロナ感染者は爆発的に増えていきました。 日本人の方が亡くなったという知らせを連日聞いた時期は、コロナがすぐ側まで来ているのを肌で感じました。 7月中旬には、特別帰国便が出るなど様々な情報に心落ち着かず、まさかまた日本に退避することになるとは思っていませんでした。 8月から始まった在外邦人のワクチン接種プログラムを受けさせてもらい、9月にジャカルタに戻ってきました。 この夏のインドネシアの感染大爆発により、一時帰国から本帰国になった友人がまた増えました。 思い出のお店も閉店してしまったり、コロナ前のジャカルタ生活は夢だったのかなと思うほど。 戻ってきたジャカルタは、周りの環境もすっかり変わってしまい、知っているようで知らないジャカルタでした。  

現在ジャカルタのホテル隔離にAYANAが選べない

 2021年4月27日の情報では、ジャカルタ到着時の隔離ホテルとしてAYANAホテルが使えないとのことです。 これは、地方自治体による隔離ホテルとしての再検証プロセスを実施するためのようで、プロセスが完了次第、また選択可能になるのではないでしょうか。 SNS上では、この他にもシェラトンガンダリアも他のホテルへの変更の案内が届いたと見かけました。 しばらくは情報をよく確認した方が良さそうですね。

断食スタート

今年もラマダンが始まりました。 宗教に関する事なので何も言えませんが、その後のレバランも含めてコロナ感染者が急増しないといいな... 今日は久しぶりにジャカルタ日本人学校に行ってきました。 以前と何も変わらない景色。 目の前にして、こんなにも胸がぎゅっとするなんて。 まだ対面授業が叶わず、オンライン授業のジャカルタ。 手探りであったであろう一年前。 子どもたちはこれから初めてオンライン授業・保育を受けますが、先生方の様々な工夫に一年間の努力と苦労を感じました。 正直、この時期にジャカルタに帰るなんて考えられないという意見が多いです。 コロナ感染者の増加、医療面の不安、そして通学できない現状。 それぞれの家族が選んだ道。 「今できることをできるだけ」 私にとっても試練になるかもしれません。 でも後悔の無いように過ごしていきたいです。  

Jakarta5日間のホテル隔離

今回戻って来るときにネックだった到着後のホテル隔離。  この規制が始まった頃は自分たちで隔離先のホテルを選べないのではないかと不安もあり、この時期にジャカルタに戻る方のSNSなどから情報を頂いていました。 時間が経つにつれて、ホテルの選択肢も増え、その滞在先も衛生面や食事の面でも安心できるところだったので、私自身も子どもを連れて帰れるかもと決心がつきました。 この頃、SNSで細かく情報が出ていたので滞在先のホテルはAYANAホテルにしました。 皆さんのおっしゃる通り、ホテル滞在は快適でした。 PCR検査 はホテル到着の翌日とチェックアウト予定日の前日の2回。 大人は両鼻 子ども(4歳,8歳)は喉 から採取。 1回目の痛みを知っているから、2回目の前は"検査してくない"と泣き、なだめるのにひと苦労。 検査が終わればパパに会える!をご褒美に乗り越えました。 ホテル滞在で持ち込んで良かったもの *子ども用スリッパ *レジャーシート *リングフィット  

日本出発からインドネシア到着まで---✈︎

 今日は、日本出発からジャカルタ到着時の記録を‥(2021.3月中旬) 今回は成田空港からANAで帰ってきました。 荷物は全て 手ぶらサービス を使い、自宅に集荷に来てもらい、スカルノハッタ空港で受け取りました。 一時帰国の度に、荷物を事前に羽田空港や成田空港に送り、当日空港で受け取る「空港宅配サービス」を使っていましたが、プラス数百円で途中の空港受け取りなしでジャカルタまで運んでくれるとは‥! もっと高額かと思い利用していませんでしたが、まだまだ目の離せない子どものいる私にとってはとっても助かるサービスです。 当日の成田空港は驚くほど人がいませんでした。 そして開いているお店の少ないこと。。 チェックインカウンターでは、陰性証明書やe-visa、e-HACなど確認する書類が多く想像以上に時間がかかりました。 e-HAC はQRコードで表示可能ですが、ネットが繋がらなかったりすると不安だったのと3人分を提示するのが面倒かもと思い、人数分をプリントアウトして必要書類と一緒に携帯しました。 これは、日本でもインドネシアでも提示するときにとてもスムーズで助かりました。 機内はおそらく20名も居なかったのではないかと思います。 子どもたちは3シート使わせてもらい、横になり就寝。 インドネシア時間、23:55着予定だったので機内でしっかり睡眠時間が取れて良かったです。 インドネシア到着後は、エスコートサービスをつけてもらったので、もう驚くほど快適でした。 このコロナの中、インドネシアに来て以来の最速で空港から出てこられました。 空港を出る前に、どこのホテルに隔離予定なのか迷彩服を着た人(空港職員なのか?)から確認されました。 ホテル名を伝え、OKと言われ外に出ると、ホテルの担当者さんが待っていてくれました。 エスコートサービスの方も送迎車まで荷物を運んでくれて任務終了。 無事に終わった証拠なのか、みんなで写真を撮って終えました。 インドネシアらしさを感じたひとこま。笑 5日間のホテル隔離の記録はまた次回。

ただいまJakarta!!

  約 1年ぶりにジャカルタに戻ってきました。 ジャカルタに戻れる条件が揃い、帰る気持ち満々だった私たち家族。 まさかの「待った」がかかりました。 正直、待ったをかけるの遅くないか?と思いました。 マンスリーマンション暮らしだった私たちは、数週間先の滞在先の保証がありませんでした。 これはかなりのストレスでした。 子どもの学校のこともありましたしね。 いろんな方のお力添えがあり、 予約フライトの2週間前にようやくOKが出ました。 念願の家族集合。 子どもたちも夫も嬉しそうで、その姿を見るだけで戻ってこられて良かったと思います。 日本出発前には72時間以内のPCR検査の陰性証明書が必要で、親子3人で唾液による検査を受けました。 検査には2cc程の唾液が必要でしたが、子どもたちは想像以上に苦労していました。 今回は事前に採取容器をもらっていたので、家でリラックスして採取できましたが、病院や空港で採取するとなると緊張もするだろうし、こちらも早く早くと急かしてしまいそう。。 日本での生活も人混みを避けていたし、感染するリスクがないように過ごしていましたが、「陰性」の結果が出るまではドキドキと嫌な時間でした。 ジャカルタ到着時の事や5日間のホテル隔離についての記録はまた今度。

言葉にしてみてわかること

 なんとなくだらだらと延びている日本滞在。 なんとなくストレスがあり、なんとなく落ち着かなくて、なんとなくもやもやしていて。。 ずっとその"なんとなく"を見ないように過ごしていました。 今の環境を変えることは、このコロナの中では無理で、なるようにしかならない、流れに身を任せようと考えていたからです。 だから、"なんとなく"に向き合っても仕方ない、どうすることもできないと思っていました。 先日、今後のことについて夫と話していた時にこの なんとなく の正体に気がつきました。 ジャカルタに帰る、帰らないの不安よりも、3、4か月後の住居が決まっていないという不安を常に抱えて生活してきたことが何よりも辛かったということに気がつきました。 見ないようにフタをしてきていましたが、あぁ自分は辛かったのね〜と。 吐き出すきっかけをくれた夫にも感謝。 さてさて、どうなることやら。 これもまた大切な記録です。